

「ただ幸せで在りたい。その想いが根底にあるのなら、それはもう同志と呼べるのでは?」
ビジネスでも、プライベートでも、ライバルとは切磋琢磨して成長していくための仲間。
白熱する会議やミーティングも、それぞれの立場で主張することはあれど、向かう目的は同じはず。そんな本来あるべき世界を目指すために、私たちが考えるべきこと。
ふと、タモリさんがニシノアキヒロさんに語ったという「戦争がなくならない理由」を思い出します。
なぜ、戦争はなくならないのか?
「戦争が無くならない理由はなんだと思う?
それはな、人間の中に『好き』と言う感情があるからだ。そんなものがあるから、好きな物を他人から奪ってしまう。
『LOVE&PEACE』という言葉があるけど、LOVEさえなければ、PEACEなんだ。その生き方は、かぎりなく動物や植物の世界に近いな。ただ、『好き』がない世界というのも、ツマラナイだろう?
難しい問題だよ、これは。どうしたもんかね?」
引用:戦争が無くならない理由
私たちはこれをどう捉えるのか?
誰もが価値観に優劣を付けず、自分の価値観や考えの固定化を疑うことで、新しいステージを広げていくこと。それを繰り返すことができれば、収まることろに収まり、世界は完璧に調和するはず。「好き」を奪い合うということすらなくなる=戦争もなくなる?
言葉より行動を見る
チームが大切と言いながら、家族へのパートナーシップを疎かにしている人がいたとします。どんなに良い発言も、それが行動に表れていなければ「その人の本当」を知ることはできません。
しかしながら、行動にばかり目が向いてしまうのも、それはそれで偏った見方です。
自分の価値基準だけで、その人を判断してしまうことになりかねないからです。
朝早く出社する人は素晴らしいのか?
「あなたはなぜ、早朝出社するのですか?」
答えはおそらく多種多様です。
- 満員電車が嫌なので
- たまたま早く起きたので
- 仕事が終わってないので仕方なく
- 誰もいないこの空間が好きなので
- 早く帰りたいので
この回答をみて、早く会社に来る人は素晴らしく、早く来ない人はそうではないという判断を本来はできません。
自分の中の価値基準と比べてみた時に「良い・悪い」のジャッジが生まれるのです。
平和であるために多種多様な人がいるのではないか
人との関係性に、本来、上も下もありません。
隣には誰がいて、誰が一緒に笑ってくれて泣いてくれて、目の前には、未来にはどんな世界が在るのか。
「見るべきは、人ではなく自分」
「見るべきは、上や下ではなく隣と前」
誰もが本来の「好き」に目覚めたのなら、それは本当に奪い合うべき事柄になると言えるのでしょうか。
いえ、そうはならないと推察します。みんなが幸せで在り続けられますように。豊かで愛に満ちた本来あるべき人生を最高に楽しめますように。ニュアンスは違えど、そのような想いが人にある限り。